雑記

しそ雑記

文章から心を読み取るだなんて

私はあなたの心を読むことができないし、あなたは私の心を完全には読むことができない。

 

文章からだって繊細な心の動きや感情を読み取ることができる、なんて国語の教科書に掲載された解説文みたいなことを言うのかな。でもそれは国語の教科書に乗るような、素直な(あるいは作者が想定していない考えを「答え」として重ねた)文章だからこそ行えるのだと思う。

例えば、精神が自分でもまともな状態にないと分かっている人間が、世間に対して恨み言と愚痴を書いたような文章が果たして「素直な」文章になるのだろうか?文章にするまでもない小さな、されどそれを理解していれば見方が変わってしまうような事実を隠したり。怨み辛みを過剰に表現したいが為に大げさな表現を付け足したり。

時にはそういった足し引きが文章の魅力を引き立てることになったりして。無意識の内に、それに自分でも気が付かないようなふりをしているんじゃないかな。なーんて、ね、自虐なんですよ、これ。なんか笑っちゃいますよね。

ただ雑に置いた文章を読んだだけでは私の心、感情、内面を全て知ることはできない。だって意図的に悪意なく混ざり物にしてるんだもの。みんなだってそうでしょ。

 

しかし、まあ、1つ2つくらいは読めたりしちゃって。「言いたいことは解らないけれども、きっと◯◯なんだろうな」って感覚。私は、それだけ伝わっていれば文章を書いた意味があるって思ったんだよ。

今までにこの鬱々とした内容しか無いブログの記事を読んでくれた人は累計で300人くらいだそうだ。そのうち20人くらいは私自身のアクセスだろうけどね。一体、どうしてあれらの記事を読もうと思ったのだろう。途中で帰っちゃうのが一番オススメなんだけどな。

たった数十人かもしれないし、もしかしたら1人かもしれない。でも私の書いた文章を確かに読んでくれた人が居て、私がどんなことを思っていたのか、なんて無駄なことを一瞬でも思考してくれた人がいるならば、少しは幸せになれます。

もう思い残すことなんかネットに漂う私の文章や捨てたアカウント達の行方くらいしか無いんだ。私は私がちゃんと文章になる文章を書けるうちに、少しでも意味の持った文章を書ける内に、ここだけじゃなく色んな場所で書いた文を読んでくれた、たくさんの人に、何かを言いたい。時には貶されたり無視されたりもあったけど、感想をくれたり、面白いって言ってくれたり。ここじゃ独り言にしかならないから言わないんだけどさ。

 

私はあなたの心を読むことができないし、あなたは私の心を完全には読むことができない?本当にそうかな。文章にしてあなたに伝えたら、もしかしたら奇跡的な偶然で、本当に伝えたいと思ったことが伝わっちゃうかもしれない。

どうかな。伝わっちゃった?

 

別に伝わって無くても、ここまで、今まで。私の文章を読んでくれてありがとう。

 

 

 

 

 

遠足に行くことにしたからサンドイッチを作りたい

仕事をやめた。貯金は無い。ニートでいられる期間は、わずかだ。まだ次の仕事を探す気力が起きないので、久々の長い休日を使って、遊びに行くことにした。遠足だ。

 

遠足だ!!!!!

 

山か。周辺で遠足っぽい場所といったら山しかないぞ。東か?西か?どちらにも山があるんだ。山に囲まれているところに住んでいるから。

東の山に向かって、流行りの朱鷺などを眺めてこようかなと思ったけれど、西の山でお花や風景の写真を撮るのも魅力的だったし、何より人間を含めた生き物は写真を撮る際に非常に気を使わなければいけないものであるから、比較的気兼ねなくカメラを構えることのできそうな、西の山に行く。

まだ計画中だ。旅のしおり作成中だ。しおりを作るのが一番楽しかったりして。

 

何か、作って持っていこう。お弁当だ。サンドイッチを作って、持っていって、食べたい。雪国の冬なのに外で食べようとしている。晴れてさえいれば、寒さなど気にならないし、風景を眺めながら食べたほうが絶対に美味しい。寒がりな女性向けにガンガン暖房が稼働している空間で、ベタベタ貼り付けられたポスターや売店などを見ながら食事をするのは、個人的には少し魅力に欠ける。気がする。

 

自分で作ったサンドイッチを遠足で食べるためには、材料を買いださねばならない。ただ、今現在の自分の精神的に、家から出るという行動をあまりとりたくないから、ネットスーパーなる現代的手段を用いてお買い物をする。している。

 

「自分が食べたいサンドイッチ」を考えた。たまごの、ふわふわしてるアレがまずはじめに思い浮かんだのだが、作るのが難しすぎる。卵焼きで代替する。

 

・キャベツ?レタス?(千切りが面倒なのでレタスにした)

・ハム?ベーコン?(ベーコンにした)

・ピーマンを入れるとして、生のまま食べて良いのだろうか?(わからない)

・トマトを入れるとして、生のままでも悪くならないだろうか?(保存状態を考えろ)

・ポケットサンドの場合、使うパンの厚さは?(ググったら4枚切りをオススメされた)

・サラダ用のたまねぎと一緒にサーモンを入れたいが、刺身用で大丈夫だろうか?(不安なのでスモークサーモンを入れることにした)

・前日から作っておく場合、冷蔵庫に入れておけば良いのだろうか?(わからない)

・このモチベーションが明後日まで続くのだろうか?(わからない)

 

 レベルが低すぎる。サンドイッチを作ることでまず精一杯で、遠足に行くよりむしろそっちが目的になっている節すらある。

 

……と苦戦していたら、ヤバいコーナーを見つけてしまった。

 

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これは……

セブンステマ…………?

 

 とりあえず、サンドイッチ(の具材)はどうにかできそうな気がした。

セブンは神

 

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(セブンのステマでは無いのでセブンプレミアムという文字を消した)

 

 

 

次のお仕事が見つかるまでに、早く、気力を回復させたい。

こんな簡単な調理ですら怠くて、もうマックでもいいかなとか思い始めている。

 

物言えば唇寒し

ああ とてもつらいなあ そうおもうから辛いのか それとも辛いから辛いと思うのか 心が見えないものである以上 はっきりさせることもできず たとえ冷静な自分がいたとしても 素直な感情を抑えることが出来ない だから冷静な自分は暴れている自分を見て自己評価をまた下げてしまう まあ もとより価値など無いのだけれども 底から更に底へ追いやってしまうものだから それもつらい これもつらい ああ

可視化作業

何Lだか知らないがこのでかいペットボトルにはお茶が入っている。喉の渇きを潤す為に少しだけ減っている。

それで殴る。殴るというか落とす。自分の腕、無くなっても支障にならなそうな利き腕じゃない方の腕を潰す勢いで落とす。実際に潰そうとは思っていない。痛いし。痛いから落としているのだけれど。

前に書いたとおり、いや、文章として脳から出してしまったから考えがエスカレートしているが、暴力は気を紛らわせてくれるというのが本当に今の自分にしっくり来ているのだ。傍目から見たら色々アレなのも理解しているしそれをまたブログに書くな。というのも分かる。でもアクセス数10も言ってないし全然平気。こんくらいの人ならまだまだ居るだろう。

というわけで今日もボロボロ涙が止まらない。はあ嫌になってしまうね。明日の朝腕に痣が出来ていたら嬉しいな。心の傷の可視化作業って書くととても格好良く見えるだろ?タイトルにしよう。

辛すぎる。どうしようもない。一瞬たりとも自分を呪う声が止まない。ずっと大音量で音楽聴いてる。でも音楽の切れ間にまたダメになる。ゲームもする気になれない。カラオケも疲れて歌えない。映画に誘われたけど体力無くて行けない。ああ。脳を捨てたい。脳にまでヘッドホンはできない。直接ぶっ刺して延々と永遠に音楽を聴いていたい。自分の声を聞きたくない。

自分の声は嫌いだけどカラオケで歌うのは大好きだから実際声に関してはナルシストかもしれない。

ご飯を炊いた

ふと思い立って、米を買った。炊飯器の釜を洗って米を入れてスイッチを押す。この一連の動作を面倒がってパンばかり食べていたので、久々の米の味は美味しかった。お米パンを食べたくなった。

世界がプログラムで出来ていて、ある日の晴れた空が、一面のブルースクリーンに変わるそんな光景を見てみたい。同じ動作を繰り返したり、同じ動作を全く繰り返さなくなったりする人間の中に紛れ込みたい。重大なバグが目に見えて起こってしまったまま放置されている世界で、それを認識しながらいつも通りの生活を続けてみたい。この気まぐれも乱数によって偶然引き起こされたものなら説明しやすい。

水たまりに反射する映像の中に飛び込みたい。足を踏み出した瞬間に反対側の世界に落ちていきたい。

 

少し前に、何かのサイトで個人ごとに脳内の思考の方法が違う?といった記事を読んだ。文章で考えるとか。映像とか。画像とか。音声とか。

私はほぼ音声で考えている。文章を書く時はずっと自分の声を聞きながら書いている気分だ。文がまとまった時点で一旦それを読み上げて、OKなら書き込む。みたいな感じ。最初から目的や書きたいことが決まっている文章については、品質はともかく比較的早く書き上げられる。比べて今みたいな、雑記としてダラダラ書いたりするものはいつまでたっても読み上げが終わらないのでまったくまとまらない。妥協して書き込んでしまう。今も。

ついでにいうと地図が苦手だ。多分、全てにおいてそうなのだけれども、「俯瞰でものを考える」ことができない。全体図ではなくて、一部を切り取ってしまう。一度行ったことのある場所ならグーグルのストリートビューのような感じで思い出して巡れるけれど、それを簡単に言葉で説明しろだとか地図を描けだとかそういうのはダメだ。難しすぎる。風景を描くのならまだしも。だからそういうことが得意な人は私からすると才能に満ちあふれているので自信をもってください。すごいです。正直嫉妬します。

 

雑に書くと本当に内容がまとまらないね。

書きっぱなし

「周囲から見た自分」を私は自分で勝手に設定し、それに見合わない自分が気に入らなくなる。脳内ではいくらでも自傷行為が出来る。現実、傷など付ける勇気もない。堂々とリスカする人間が羨ましい。羨ましすぎて死にたくなる。どうすれば死にたくなくなるんだろう。ネットを徘徊していると、こういう人間は薬でどうにかなるらしい。でも精神科に行くことが出来ない。行きたくないし、仕事的な意味でも時間が合わないし、お金も無いし、辛うじて持っていた保険証は大掃除による紛失、発行手続きが面倒で放置している。自業自得で潰れていく人生の中の一瞬を私は自傷妄想で過ごしている。

 

店員としての私は、気分を明るく保っている時の私は笑顔で接客し感じの良い声色でお客様の要望を聞くことが出来る。自分の外へ視線を向けることが出来る。鬱々としていない時の私は、他の人と共存できる。人の行動を認めることができる。

 

それなのになんで些細なことでそれすらできなくなるのだろう。他の人が目の前にいてもずっと自分のことしか考えられなくなるのは、これはきっと病気なのだろう。そう書くと「お前など病気ですらない」と言われるんじゃないだろうか。自意識過剰だ。「それ」はもっと辛い思いをしている人間がかかるものなのだと、抱えきれないトラウマなどお前には無いくせに、ちょっと辛いからとすぐに甘えるな、誰かに聞いて欲しいなら自分と喋っていろ、誰かにお前のその気分を共有させようとするなと、そういう自分からの意見を聞き始めるともうなんにも止められない。言葉が止まらない。

これを書いていて既に止まらない。ちょっとやりすぎている気がしないでもない。文章を書くことによる自傷になり始めている。でも、実際に傷を付けるタイプの自傷をしたことが無いのでわからないのだけれども、自分で自分を傷つけるのは案外気持ちのいいことだ。かわいそうな自分に酔える上にストレスも発散できる。行うのに必要なものが自分しか無い。自傷というか自虐か。自分を傷付ける行為だと思いながら自分を貶し続ける。気分が良い。終わりそうにない。人生も、このまま続くのだろうか。終わってみないとわからないことを、どうして今から考えてしまうのだろう。幸せになりたいと漠然と思えば、暗いであろうこの先の空に星が灯るイメージを少しだけ重ねることが出来た。

 

いいか クソみたいなポエムを書くくらいならすぐに寝ろ。睡眠不足だから苛々するんだ。他人のせいにするな。馬鹿な脳でどんだけ考えたって何も改善されはしない。いつまでも同じことの繰り返しだ。何も考えるな。そう自分が今、叫んでいる。日付が変わる前からずっとだ。それもそうだ。この一時間、ずっとポエムしか書いていない。これを書くことにより何が変わるわけでもない。文章に期待をしてしまった自分を恥じる。まともな文章力を手に入れてから物を書け。それじゃあどうすれば文章力は向上するのか。そんなもの要らないからすぐに寝ろ。まあ時間を思えば正論なのだがもう今はそれしか考えられないのでつべこべ考えずに寝ろ。そうずっと叫ばれている。幻聴とかそういうものではなく。意思が寝ろと叫んでいる。眠くもないのに常識人としての私が睡眠を得られないと体と心にダメージが行くのだと確かなソースを以って怒っている。怖いので、寝る。