雑記

しそ雑記

思考能力の低下が著しい

同じ思考を保ち続けない。きまぐれ、気分転換が早い、すぐ立ちなおる、七転び八起き的ポジティブとも言い換えられる。ただ、私の鬱々とした脳みそは一回ストレスを与えられるとすぐさま今までの「七回分のダメージ」を脳内に延々と繰り返し再現してしまう。そこからまたずっと気分良く過ごすためには、八回分続けて立ち上がるだけの明るい気分などを作らないといけない。

 

誰かに仕事上のミスを指摘される。優しい口調で。それを、被害妄想に囚われた私は「まるで小学生に言い聞かせるような口調だ、この程度のことも分からないから私を馬鹿にしているんだ」と読み取り、相手の善意を無視して気分を悪くしてしまう。こう感じる時、私の脳内では「馬鹿にされている」「馬鹿にしている訳ではない」と相反する考えを戦わせている。些細な事で苛々してしまう私が嫌になって、脳が疲れて頭痛を起こす。頭痛がまた苛々を増やす。苛々していることだけが大きくなって、涙が出る。こんなことで泣くだなんて気持ち悪いと自分を責める。泣いている自分をどこか遠くから見ている私が「泣いても解決には全くならないのだ」と延々と言い聞かせる。言い聞かせられる私もそれを分かってはいるのだけれども、身体に居る私が幾ら涙を止めようとしても止めることが出来ない。

 

仕事中にこれが起こると、まあ帽子を被っているから直接表情を読み取ることは出来ないとは言え、作業をしながら泣いている人間になる。流石に声色までは誤魔化せないから、挨拶や必要な会話もできなくなる。結果、泣くことが嫌になる。それでも泣いてしまう。すると嫌なのに泣いてしまう自分がもっと嫌になる。嫌になる。死んだほうが良いとずっと思っている。自殺は誰に対しても迷惑をかけることだと誰もが言う。その通りだと思う。それこそ何の解決にもならない。ただ、死を望むことで脳内の苛々は一時的にそっちにリソースを全部持っていかれることにより薄まる。死にたいとだけ考え続ければ苛々は薄まっていく。毎日これを繰り返す。苛々する。泣く。死にたくなる。どうせ自殺など私はしない。ただただ死に方を考える。死んだときの痛みを考える。死んだらどうなるかなどはどうでもいい。死ぬ瞬間に考えることは何なのだろう。どんな気持ちで死ぬ準備をするのだろう。そういう思考に浸っているとやっといつも通りに近づいていく。

 

家に帰って、完全に一人になって、やっと無表情で自分の感情のままに生きていられる。睡眠を抜かせば五時間。日本内なら平均より多いのかもしれない。

 

大切にされたい、存在を認めてもらいたいと言う欲求だけが募っていく。私にはそういった完全なる素を出せる相手が居ない。そういう相手が居た頃を思い出すとまた脳にダメージが入る。思い出が今の自分を苦しめる。だからもう親しい人を作らなくなる。ネット社会に慣れてしまってからはそれがもっと激しくなった。SNSはすぐにアカウントを消してしまう。ネトゲも交流が苦で続かない。素の性格がそういうことに向いていない上に、対人関係に消極的になりすぎてしまった。改善したいという気持ちだけはまだ辛うじて残っている。

 

こうして今自分の気持ちを整理している文章だけが私の素直な言葉になる。正しい綺麗な文章にはなれない。どうすればまた誰かと会話できるようになるのだろうか。ここまで書いていてやっと分かった。もう会話などしなくていい。誰かに見ていてもらいたい。「それでもお前は恵まれているのだ」と、そう殴られたい。今望むのは、気を紛らわせてくれる暴力だけだ。